日本の明治時代にはハワイ諸島がアメリカと通商条約を締結しサトウキビの輸出でハワイは栄えるはずだったのですが、アメリカの資本家達にハワイの国土の半分を買い占められ、政治にも進出され、さらにはパールハーバーを軍港にすることにも目を付けられました。
そこでハワイ王朝七代目の王デイヴィッド・カラカウアが危機感を抱き、同じように欧米列強と不平等条約等を結んでいるアジア諸国に欧米列強と対峙するためにハワイ・アジア連合実現に向けて世界周遊の旅に出ました。

そのとき来日したカラカウア国王と明治天皇の間で会談が行われましたが、連合実現の提案に明治天皇は即答を避けました。
そして1年後、日本の回答は「あまりに遠大で現段階では不可能」と言う答えでした。

その頃、日本では条約改正に欧州が応じる姿勢を見せ、ハワイ・アジア連合の必要性は無くなっていました。後にアメリカがハワイ国王の議会権限を剥奪、4年後にはカラカウアの死去、とうとう1898年にハワイはアメリカに併合されました。

もしもの世界ですが、
ハワイ・アジア連合が実現されていればアジア諸国の独立が早く進み、東西冷戦の影響による国家分裂、貧困に、武器の密輸等の状況は変っていたかもしれません。そしてパールハーバーがアメリカの軍港でなければ・・・